「あの人にしか分からない」という状態は、多くの現場に残っています。長年の経験で培った勘や、トラブルの予兆に気づく判断基準は、本人にとっては当たり前すぎて言葉にする発想すら浮かびません。マニュアルには手順は書けても、「なぜそこで止まるのか」「なぜその順番を選ぶのか」という判断の理由までは書けないことがほとんどです。
この状態を放置すると、その人が異動や退職をした瞬間に、判断基準そのものが組織から消えます。書き残す方法はいくつかありますが、聞き取った内容を一冊の本として構成すると、断片的なメモや動画よりも通して読める形で残せます。本記事では、言葉になっていない現場の判断基準をどう聞き出し、原稿にまとめるかを具体的に整理します。
この記事で分かること:
- 熟練者が「勘としか言えない」と答えるときに、何を聞けば具体的な判断基準に変換できるか
- インタビューが抽象論で終わってしまう失敗の型と、その避け方
- 聞き取りから原稿化までを、当社と御社でどう分担するか
なぜ「言葉にならない」のか
熟練者の判断は、複数の条件をほぼ同時に処理した結果です。本人の中では「見た瞬間に分かる」状態になっていて、判断の材料がいくつあったか、どの順番で確認したかを、意識の上で分解していません。重要なのは、本人が隠しているのではなく、分解した経験がないために言葉が出てこないという前提を持つことです。
「言語化してください」と依頼しても、出てくるのは「経験ですね」「感覚です」といった抽象的な答えです。聞き手の役割は、その答えを追認することではなく、具体的な場面までさかのぼって条件を一つずつ切り分けることです。
聞き出す設計:質問の立て方
効果があるのは、直近の具体的な失敗やヒヤリハットから逆算する聞き方です。「どういうときに注意していますか」ではなく、「直近で判断を誤りかけた場面を一つ教えてください。そのときは何を見て、いつ気づきましたか」という聞き方に変えると、答えが具体化します。
| 質問の型 | 引き出せる内容 | 向く場面 |
|---|---|---|
| 直近の失敗・ヒヤリハットから聞く | 判断が狂う条件、気づきの遅れ方 | 抽象論から具体化したいとき |
| 手順の途中で「なぜそこで止まるか」を聞く | 無意識の確認ポイント | 手順書はあるが理由が書かれていないとき |
| 複数の類似事例を並べて共通点を聞く | 判断基準の一般化 | 一つの事例では再現性が分からないとき |
| 「新人にどう教えるか」を聞く | 本人が言語化を試みた形跡 | 教育の場面で既に説明を試みている場合 |
一度の質問で判断基準がきれいに出てくることはほとんどありません。同じ話題を角度を変えて何度か聞き直し、出てきた言葉を次のインタビューで検証する、という往復が必要です。
インタビューでつまずく3つの場所
聞き取りの現場では、決まって同じ場所でつまずきます。
一つ目は、本人が「勘としか言えない」で止まってしまう場合です。 この場合は、判断そのものではなく、判断の前に何を見ていたか、目線や手順の話に質問を切り替えると、糸口が見つかることがあります。
二つ目は、抽象化しすぎて一般論になる場合です。 「お客様の立場になって考える」のような言葉で終わると、他の記事にも書ける内容になってしまい、その人にしか書けない本にはなりません。具体的な事例に戻し、「その場面で、具体的に何を確認しましたか」と聞き返します。
三つ目は、複数の熟練者で答えが割れる場合です。 これは判断基準が実は人によって違う、あるいは状況によって使い分けているサインです。無理に一本化せず、「Aの条件ではこの人の基準、Bの条件では別の基準」という形で両方を記録したほうが、実務では役立ちます。
原稿にする分担:当社と御社の線引き
聞き取った内容を原稿に落とし込む作業は、当社と御社で役割が分かれます。
| 工程 | 当社の対応 | 御社にお願いすること |
|---|---|---|
| インタビュー設計・実施 | 質問設計、聞き取り、記録 | 対象者の選定、聞き取り時間の確保 |
| 原稿への構成・文章化 | AIと編集者による構成・執筆 | 専門用語や固有名詞の確認 |
| 事実確認 | 論理の整合性の確認 | 現場での妥当性の最終判断 |
| 複数の熟練者の意見調整 | 記録と整理 | どちらの基準を採用するかの意思決定 |
現場での妥当性は、当社では判断できません。 「経験ではこう言っているが、実際にそのやり方で合っているか」を確認できるのは御社だけだからです。原稿化の速さよりも、この確認を飛ばさないことを優先してください。
AIで文章化するときの注意点
聞き取った内容をAIで整理・構成する場合、Amazon KDPで出版する際の申告ルールを理解しておく必要があります。人が話した内容をAIが整理し文章化する「AI支援」は申告の対象外ですが、AIが独自に文章や構成を生成した部分が含まれる場合は、出版時に申告が必要です。
聞き取り本の場合、内容の中心は本人が話した言葉であり、AIの役割は構成と言い回しの整理にとどまることが一般的です。ただし、どこまでを本人の言葉として扱い、どこからをAIによる補完とみなすかは、原稿の作り方によって変わります。この境界があいまいなまま進めると、後から申告要否の判断に迷うため、執筆の初期段階で分担を決めておくことをおすすめします。原稿の書き方全般についてはAIで企業出版するには?ChatGPTで会社の本を書く全手順にも整理しています。
一冊にした後の使い方
聞き取ってまとめた内容は、新人教育の教材、業務マニュアルの補完、後任者への引き継ぎ資料として使えます。退職までの期限が決まっている場合の聞き取りは、通常より時間の制約が厳しくなるため、退職までの期限が決まった一人から、限られた時間で知見を引き出し一冊にするにはで別に整理しています。
何を優先して聞き取るかは、会社が今どの知見を最も失いたくないかによって変わります。聞き取りを始める前に、対象とする業務範囲と読者を決めておくと、インタビューの質問設計がぶれません。テーマの決め方は会社の本のテーマの決め方|読者と目的から企画を固める手順をご覧ください。
聞き取りの記録は、その場でのメモだけに頼らないことをおすすめします。録音した音声を後から聞き返すと、メモを取っていた段階では聞き流していた言い回しの中に、判断基準そのものが含まれていることがあります。「なんとなく違和感があった」「いつもと違う気がした」といった感覚的な表現も、削らずにいったん記録し、後の整理段階でどの条件と結びついているかを検討してください。感覚的な言葉を早い段階で削ってしまうと、後から復元できなくなります。
まとめ
- 熟練者の判断基準は、本人も意識的に分解していないため、聞いてもすぐには言葉にならない
- 直近の具体的な失敗やヒヤリハットから逆算して聞くと、抽象論が具体化する
- 「勘としか言えない」「一般論になる」「複数人で答えが割れる」の3つのつまずきには、それぞれ別の対処が必要
- 当社は聞き取りと原稿化を担当し、現場での妥当性の最終判断は御社にお願いする
- AIで文章を整理する場合、AI支援とAI生成の境界を先に決めておくと申告要否で迷わない
言葉にならない判断基準ほど、消える前に形にする価値があります。どの業務から着手すべきか、聞き取りの設計からご相談いただけます。
参考情報
- Amazon KDP コンテンツガイドライン(2026-09-19確認)— AIで生成した文章・画像・翻訳は出版時に申告が必要。人が作成した内容をAIで改善する「AI支援」は申告の対象外。